健康診断を受けなさいという御言葉がきっかけになり

「健康だと思っていても必ず健康診断を受けておきなさい。小さな異常を指摘されたら必ず精密に調べなさい。」主日の説教で幾度となく聞いた御言葉です。

2021年の夏もまるで習慣のように、何気なく健康診断を受診しました。

すると、血液検査の結果が微妙に気になるから、念のためエコー検査だけでも受けないか?と検診当日に言われたので、御言葉を思い出して検査に進みました。

エコー検査の時、肝臓を調べていましたが、検査技師が不意に膵臓も一緒に、と思い立ったようで、調べてみると8㎝にもなっている膵嚢胞ができている、とのこと。

自覚症状がないため、検診で偶然見つかるものだということで、ひとまず御言葉通りにしていてよかった!と思いました。

神様が急いで!と言っているような気がして

その後、内科医が追加の検査予約を緊急で入れてくれ、CTなどの検査も受けました。

追加検査の後、医師の診療日でもないのに、私を急患扱いで診てくれて、癌化する恐れがある(あるいはすでに癌になっている可能性も否めない)から、急いで手術が必要だといわれました。さらには、今日地域医療支援で来ている大学病院の外科医に手術を頼んだらどうだ?と言われました。1時間後に予約が入れられるというのです。

手術が必要と言われただけでも青天の霹靂だというのに、この田舎で難易度が高いといわれる膵臓の手術ができる医者が歩いて数歩のところにいるから、行けというのです。

通常なら少し間をおいて調べたりしてから行くと思うのですが、「機会を逃すな。一瞬の判断が生死を分けることがある。」という御言葉が瞬間脳裏をよぎりました。それで、10秒ほど目を閉じて今まで教会に通いながら見たり聞いたりした様々な経験測を総動員した結果、この状況は神様が「急いで!」と言っているように聞こえる、そう判断しました。それで、勧められるまま、大学病院から来たという医師に手術をお願いすることになりました。

奇跡的に癌がとどまっていた

2012年当時、別の病気で検査をしたとき、3㎝大のすい嚢胞を指摘されていました。しかし、当時は良性だろうから経過観察でよい、と言われ、歳月を経るうち、自覚症状がないため、完全に放置していました。

健康診断などの過去データを2021年になって調べると、実は2019年時点ですでに6㎝でした。私が自己申告しないから、見落としていたのです。

だから、普通に考えると癌になっただろう、それでも、手術して取り切れる範囲で見つかったから感謝してすすもう、と覚悟を決めていました。ところが、手術後、組織検査をしたところ、癌の一歩手前でとどまっていました。

神様が休むこともまどろむこともなさらずに

医師は、ロボットを使った腹腔鏡手術で膵臓の嚢胞を摘出してくれました。これは傷が小さく体に負担が少ない最先端の医療だと後で知りました。この術式は、2020年頃に保険適用となり、私が住んでいる地域では、2021年4月に導入された方式でした。しかも、この手術をいち早く手掛けたのがほかでもない私の執刀医だということ、執刀医の手術の技術が高く名医との呼び声が高いこと・・。すべて後で知りました。

2019年に見落としていたのは、この最先端の医療を受けさせるために神様がされたことだと感じました。

神様は私になるべく体にも経済的にも負担がないような医療を長い年月をかけて整えてこられ、その医療に間に合わせるかのように何とか体調を整えさせ、途中私があれこれ病気のことで思い煩わないようにも守ってくださっていたのです。

切実な祈りが染みていく感じがした

振り返れば、2019年頃、先生の故郷を訪ね、朝の飛行機で日本に戻ろうとしていたので、明け方早くに簡単な挨拶をして帰る時でした。

「病でつらい人のため、特別な癒しの祈りをする」集まりが開催されるところで、元気なはずの私までも一緒に祈りを受けたほうがいいといわれました。

「将来も病気にならないように今祈ろう。」とおっしゃるのです。健康だし、申し訳ないと思い、何重にもなった人垣の最後尾でそっと祈りを受けましたが、自分が自分のために祈ってもこんな切実に祈れるだろうか?と思うほどの深くて熱い祈りで、遠くにいるのにその涙が体に染みていく感じがしました。

術後、身体に負担が大きくかかって、5日ほど高熱で食べられず、意識朦朧とした中で思い出されるのは先生の祈る涙と声ばかりでした。もっと長く回復に時間がかかりそうでしたが、3日ほどで急激に好転し回復し退院できました。

健康な私でも、感激して涙するわ、と呑気に思っていましたが、それはほかならぬ私のためだったと思うともっと感激して泣きました。

私もあのような切実な祈りをもって、神様の愛と慈しみを届ける人間になりたいなと心新たにしているところです。

長文読んでいただきありがとうございました。

※この記事で紹介している「先生」とは、キリスト教福音宣教会、鄭明析牧師のことを指します。詳しく知りたい方は、鄭明析牧師の生涯サイトをご覧ください。