-本日はよろしくお願いします。早速ですが、Hajimeさんが教会に通うようになったきっかけは何だったのでしょうか?
元々、小学生の時から「人生の目的とは何だろう。何のために自分が生まれたのだろう。」とずっと考えていたのですが、学校の先生も親もその答えを教えてくれたわけではなく、また、たくさん本も読みましたがそれでも答えは得られず、高校の時には「今さえ楽しければいいんじゃないか」みたいな刹那主義的な考えになったこともありました。
ただ、大学4年になる前の春休みに就活が目の前に迫っていたのですが、その時に再びやっぱり自分は何をして生きるべきなのかが分からないのに職業を選べないなと思いましたし、何のために行っているのだろう、ということを考えていました。
それと、僕は非常に心配性というか、引っ込み思案というか、なかなか一歩を踏み込む勇気がなくてですね。そんな自分が嫌いで、自己嫌悪に陥るような状況だったんですけれども、「次に何か新しいことに誘われたら絶対に行ってやろう!」と 心に固く決めていた時に教会のサッカーに誘われたんですね。
運動不足だったのもありましたし、サッカーをしに行って、その人たちと食事もしましたが、皆さん、温かくて優しかったです。それで聖書の話も聞いてみることにしました。ただ当初は、宗教には警戒心をもってはいましたね。
-ちょうど決心されたタイミングで出会ったのはすごいですが、最初はあまり乗り気ではなかったのですね(笑)。そこから聖書の話を聞いていく中で神様を感じるようになったターミングポイントはあったのでしょうか?
そうですね。聖書を学んでしばらく時間が経ったある時、自分の中でどうしようもない問題にぶつかったんですよね。それで初めて本気で祈りました。家に帰る途中、夜空を見上げながら。それは1分も経たないような短い時間だったと思いますが、「本当に神様がいるならばこの問題を解決してください。そしたら僕は神様を信じます。」という風に思っていたら、次の日に聞いた御言葉で答えが得られたんですよね。それで、この話を伝えてくれる人はなぜ僕の祈りを聞いたわけじゃないのにこの話をするんだろう、とびっくりしました。
ただ、自分は現実主義というか、慎重で疑い深いタイプなので、偶然だった、ということもあると思い、まだ信じきれませんでしたね。
ただ、そんな自分を見透かすように、翌日にも2日連続で自分には解決できないな、という問題が起こったんです。それで、また家に帰る途中で、「昨日、本当に神様が問題を解決してくれたのであれば感謝します。もし、今日も問題も解決してくれたら、今度こそ僕は神様を信じます。」と祈りました。
そうしたら不思議なことに、やっぱり次の日の朝、御言葉でまた解決する知恵をもらえたんです。それで、2回連続で答えをもらったのに信じないのは良心が痛んだので、さすがに神様に「もう認めます。」と頭を下げましたね。それからもここで学んだ通りにすると、神様が自分に働きかけてくださったり助けてくださる経験を積み重ねたことで、確信するようになりました。
-2回連続で御言葉(聖書の話)で答えをもらうというエピソードで神様を信じるようになったのですね。ちなみに、大学ではフランス文学を専攻されていたとのことですが、何を学ばれていたのですか?
大学ではフランスの20世紀最大の哲学者であるデカルトとサルトルのゼミをダブルで取っていました。ただ、哲学には限界を感じている部分もありました。人生について理論づけるものが哲学だと思うのですが、つまるところ、人生は理論付けられないのではないかと感じたからです。神様がいるのか、いないのか、と、どこかで結局は壁にぶつかってしまう。彼ら(哲学者)なりには答えを出していましたけどね。
-Hajimeさんは青少年の自殺防止に取組むNPO活動の代表としてもご活躍されていますが、そのお話もぜひお聞きしたいです。
活動を始めたきっかけは2008年まで遡(さかのぼ)りますが、鄭明析牧師の説教で自殺問題の話が出たことがあったんですね。それで、日本も自殺問題は当時から深刻でしたし、自分は国のために何かしてきたのかと考えた時、何もできていないな、と思いました。また、僕は以前、人材派遣の仕事をしていたのですが、派遣社員の方々の中でも(特に真面目で高く評価される人ほど)、メンタルの問題でダウンし、離脱する方も多く、身近な体験としても、それがすごく自分の中では気になっていました。それで、同じように問題意識を持った数人で活動を始めるようになりました。
-そのようなきっかけだったのですね。実は私も大学生の時、NPO活動のイベントに参加させていただいたことがあったのですが、隣の人と褒め合ったり、自己肯定感が高まるような温かいワークがあったのを覚えています。
そうですね。NPO活動の中心であるワークショップは元々CGM(Christian Gospel Mission)の教会でお互いを大切にしましょう、というコンセプトで行われていたワークの一部を使っており、相手を褒めたり、相手に感謝したり、相手の本当に大切にしている言葉を言って励ましてあげる、などのコンテンツがあります。ポイントは、相手の名前をちゃんと必ず呼んで、うわべの言葉ではなく、「(大切なのは)あなたのことなんだよ」ということを相手が実感できるようにすることです。みんな教育上、頭では「命の大切さ」を習っていますし、知っているのですが、それが自分のことだと思っているのかが重要です。「隣の誰々さんはそう(大切)だけど、自分は違う」と思っている人がいれば、「そうじゃないよね。あなたも大切だよね。」ということを頭の知識でなくて、体感させることが目的ですので、ワークショップのコンテンツもそのように作っています。
ただ、実は最初から単体でこのワークショップのイベントをしていたのではなく、初めはサッカー大会のプログラムの一環として始めました。当初はサッカー大会時に試合を中断し、途中でワークショップをしていました。
当時、ワークショップが終わると、メンタルに問題を抱えている当事者たちが声をかけてきたのです。それで、実は鬱(うつ)になってました、というような子たちが「(ワークショップの内容が)すごく良かった。幸せでした。」と話してくれるんですよね。ただ、それと同時に「もっと早く会いたかった。」ということを何人もの人に言われ、その言葉がすごく心に残りましたね。それで「この子たちはもっと早く自分の価値や大切さを体験できていたら、今のような苦しみを避けられたのかもしれない」ということを実感させられました。
それで、2018年にNPO法人化した時に、もっと早いうちにワークを体験できるよう、主な対象年齢を中高生などに下げて活動しています。
-中高生だと互いに褒めあったりするのは恥ずかしかったりしそうですね(笑)。
中高生からいただく感想としては「普段はあまり褒めらないから、褒められて嬉しかったです。」とか、僕らは大学生や社会人など、幅広い年代をミックスしているので「年上の人たちに長所を言ってもらえて自信になりました。」といったものが多いですね。
-たしかに幅広い年代とも関われる機会は中高生にとってはそれ自体も貴重な経験になりますね。学校での出前講座もされているということですが、日本の教育にもご関心が強いのでしょうか?
教育に関しては、日本は非常に課題が多いと感じています。特に、そもそも子どもたちへの人権意識が低いことは大きな問題です。ただしこれは子どもたちだけの問題ではなく、年代を問わず言えることだと思います。
このように人権意識が低い結果、他人を押さえつけたり、傷つけたりするような発言や言動に繋がってしまいますよね。なので、虐待などの問題も含め、解決しなければならないとすごく感じますね。
あとは、子どもたちは親や周りの大人と接する中で自信をなくしたり、それこそ死にたいというようになってしまったりもします。現在は週に2回、オンラインの悩み相談もやってるのですが、学校に行きたくない、という子たちが多くいて、話を聞いてみると、学校に行きたくない理由の奥で、親に叱られていたりするんです。たとえば、学校の成績が落ちているから叱られたり、体調が悪くて学校に行きたくないと言っているのに、学校に行かないといけないだろうと責められて辛くなるケースがあったりします。
親は親なりに愛情をかけてるつもりだと思いますが、親の価値観で一方的に話しているので、子どもからすると「自分が大切に思われていない」とか、「自分は親にどうでもいいと思われているんだ」と誤解してしまうことが多いように思います。
だから、子どもたち本人の自信や自己肯定感を高めることも必要ですが、同時に大人から変えていかなければならないこともあるなと感じています。