実家が仏教の檀家であり、宗教への「抵抗感」は最初からなかった
実家が元々仏教の檀家であり、田舎という事もあり、よく法事や様々な集まりがうちで行われていました。
また大学時代に少林寺拳法部に所属していて、仏教の教えに触れていたので、宗教や信仰に対しての抵抗感は最初からありませんでした。
「宗教」=「苦しい時の神頼み」という先入観が消えなかった
キリスト教福音宣教会(Christian Gospel Mission)に出会い、聖書の御言葉には本当に矛盾が一つもないし、自分を変えてくれる、人生の答えを御言葉で見つけられると言う事はすぐに分かりました。
しかし、「信仰や宗教」=「苦しい時の神頼み」と言う先入観が本当に強かったのです。
だから、お祈りと讃美を自分でする事がなかなか出来ませんでした。
それなりに人生の問題にぶつかってきて、考え、努力して乗り越えてきた部分があります。
「御言葉を聞いても、結局、実践するのは自分。宗教や信仰に頼るのは弱い人間がする事」そんな先入観をなかなか抜け出す事が出来ませんでした。
10年学んだ間で変化した「信仰」に対する考え方
むしろ弱い時こそ、目に見えるものに頼ってしまう人間
キリスト教福音宣教会(Christian Gospel Mission)に出会い、御言葉を学び、自分でも少しずつ祈りと讃美の御力と必要性、価値、恵みを悟って10年以上が経ちました。その10年の間に自分の「信仰」に対する考えは大きく変わりました。
実は、人間は、弱いときにこそ、目に見えるものを頼ってしまうのではないか、と考えるようになりました。
しかし、(キリスト教福音宣教会の総裁の)鄭明析牧師は、どんな悪環境や状況の中でも絶対に信仰が揺れる事も、捨てる事がない姿を見てとても不思議でした。
「どうして、その状況で信じる事が出来るのだろう?」
その姿が、私の「信仰」に対する考えを大きく変えるものとなりました。
「信仰は、弱い人間の頼るものではない。多くの人が厳しい状況になると信仰を捨て、自分を頼り、目の前に見える存在に頼ってしまう。
そうではなく、目には見えないけれど、いつも側にいて下さる神様を信じ、最後まで変わらずに愛する事が出来る人こそが、本当に強い精神の持ち主だ。」
とはっきり悟る事が出来ました。
状況や環境がよくない時にこそ、目に見えない神様を信じることの強さ
状況や環境がいい時に信仰を持つのは簡単なことだと思います。
状況や環境が良くない時、目の前の存在や自分中心に逃げるのではなく、辛い時には神様への感謝を忘れず、『最後まで』を自分の脳に、考えに刻み込んで生きていきたいと思います。
10年前を思うと、祈りが難しいときもありましたが、今となっては、祈りや讃美、御言葉なしの生はあり得ないと思うほどに変化しました。
※この記事で紹介している「先生」とは、キリスト教福音宣教会、鄭明析牧師のことを指します。詳しく知りたい方は、鄭明析牧師公式サイトをご覧ください。
編集者からコメント
今回は、日本人の中で非常に多くの方が抱いている「宗教に頼るのは弱い人がすることだ」という考え方について語っていただきました。
キリスト教福音宣教会(Christian Gospel Mission)の教会で御言葉を学ぶ方々の話を聞くと、同じような考えを持っていた方がとても多くいることを感じます。
一方で、本記事で10年かけて悟られたように、むしろ目に見えない神様に対し、どんなに苦しいときでも感謝し、信頼する、ということはむしろ強くなければできない、ということも信仰者であれば一度は感じたことがあるのではないでしょうか。
貴重な体験談をお寄せいただき、ありがとうございました。
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