信仰のキセキ

人生の目的と自分の存在意義が分かった

上京して楽しい大学生活を送る日々

田舎から都会に出てきて大学に通い始めたばかりの頃は、何もかも新鮮で、自由で、色んな人に出会うことで刺激も受け、毎日が充実していました。

授業、サークル、アルバイトなどでそれなりに楽しく時間が過ぎていきました。

大学1年の終わりに気づいた虚しさ

しかし、大学1年の12月になり、1年を振り返ってみたとき、あまりにも自分がやってきたことが虚しく感じられました。

学校、サークル、アルバイトで日々新しい経験をすることで、その瞬間は面白く感じていただけであって、本当に自分の心を満たすことはできてなかったし、自分の内面は成長していないことに気が付いたのです。

その心の虚しさから抜け出すために、苦しみながらも自分の内面と向き合うようになりました。

大学4年間で自分の成長のためにすべきことは何なのか?という問いから始まり、人生を生きる目的は何なのか?自分の存在する意味は何なのか?と突き詰めて考えるようになり、答えが出なくて混乱し、悩みました。

自己啓発本を読んでもすっきりする答えは得られず、誰かに聞いて解決することでもないので、人にも相談できず、ただただ一人で涙する日々でした。

大学2年に聖書に出会い、人生の疑問が解けていく

そのような苦しみを神様がご覧になり、大学2年生のとき、聖書を学ぶことができるよう導いてくださいました。

初めて教会の人たちに出会ったとき、本当に衝撃を受けました。あまりにも輝いていて自信に満ちていたし、語る言葉に力があったからです。

そして出会ってから1か月後くらいから御言葉を学ぶようになりましたが、御言葉も衝撃の連続でした。自分一人で聖書を読んだらとうてい理解できない聖句をいとも簡単に解いて説明してくれ、様々な問題についても聖句を引いて明快に答えてくれるのです。そして、私がずっと探していた、人生の目的は何か?自分の存在する意味は何か?という大きな疑問も、聖書の御言葉で解けたのです。

人生の目的と自分の存在意義が分かった時から私の人生は180度変わりました

今までのように答えのない問いに悩むこともなくなり、人生の虚しさから抜け出し、心に愛が充満し、感謝が溢れるようになりました。

人生を道に譬えるならば、若いときに目的地を探さず、自分なりの道へ行き、人生が老いてから目的地を探し回っていいでしょうか。

見つけたとしても時間が足りないし、後悔ばかりが残ります。若い時に目的地を見つけ、分かってまっすぐ行ってこそ、道中も楽しく、目的地で甲斐も感じて生きることができます。

知恵の王、ソロモンも聖書にこう記しています。

あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、『わたしには何の楽しみもない』という言うようにならない前に(伝道の書12章1節)

聖書の御言葉によって、私は人生の問題が解かれ、新しい人生を歩むようになったことを心から感謝します。

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