私の父は1991年夏に大腸がんと診断され、さらに肝臓にも転移していました。7月に東大病院に入院し、12時間にもわたる大手術を受け、幸いにも目に見えるガンはすべて切除され、入院から40日後に退院しました。
しかし医師からは術後に説明があり、「目に見えるガンはすべて取り除きましたが、またすぐに再発すると思います。長くてもあと1年の命と思ってください。」と宣告され、あまりにも衝撃を受けました。
その年の秋、私は摂理に出会い、御言葉を聞くようになりました。御言葉を途中まで聞いた時点で、なぜだかとても韓国に行きたくなり、先生のこともよく知らないまま一人韓国へと旅立ちました。
1992年の3月に、月明洞で初めて先生にお会いしました。先生に挨拶をし、自己紹介をすると、先生は「はーい。良く来たね。良く過ごしてね。」とおしゃいました。まるで幼子をあやす感じで接してくださいました。
先生にお会いするまでは、ただ知識としてだけ、聖書の御言葉を聞いていましたが、不思議と、先生にお会いしてからは、霊の耳が開くようになりました。そして、残りの御言葉を1つずつ聞くたびに号泣し、涙が止まりませんでした。
その年の4月に御言葉の修了式を迎え、すぐに父を伝道しました。「父を先生に会わせたい。先生に会えば、病気が治る」という確信がありました。
5月に月明洞で行事があり、父と一緒に韓国に行きました。それまで、独学で韓国語を学んでいた父は韓国語で先生に挨拶をしました。先生はとても喜ばれ、父と長く対話をしてくださる中で「あなたが韓国語を学んだのは、人に会うためです。病気の心配はしなくていいです。これからはゆっくり休んで、信仰生活をなさってください。」とおっしゃいました。終始とても穏やかな愛で父を包んでくださいました。
そして先生は父に「韓国語で歌える歌は何かありますか?」と訊かれ、御言葉をひとつも聞いていない父は摂理の賛美歌を知らなかったので世の中の歌で「モッポの涙なら歌えます。」と言い、歌い始めるとなんと先生も一緒に歌ってくださいました。
帰国してから父は御言葉を学びながら、主日礼拝にも参加するようになりました。先生のお言葉のとおり、父は定期的に検診を受けましたが、病院の先生がびっくりして「あなたは奇跡の人だ。完全に治っています。」と言い、肝臓に入れていた抗がん剤を染み込ませる袋も、「必要ないから、取り除いてしまいましょう。」と言われたそうです。そのようにして余命1年と言われた父の命が2004年の11月まで、12年間も延長されました。最後は胃がんでこの世を去りましたが、神様と先生に対する愛と信仰が一度も揺らぐことはありませんでした。
父が亡くなる3ケ月前、先生に手紙を書きました。父が病気になり、あと3ケ月の命となったこと、今まで父の命を守ってくださり感謝します。というお手紙と一緒に月明洞で父と一緒に撮った写真を先生に送りました。父が亡くなった週の主日礼拝で先生が突然「モッポの涙」の替え歌を歌われました。めったに歌うこともないその歌を礼拝の流れとは関係なく、歌ってくださいました。父のために弔いの歌を歌ってくださったのでしょうか。。。その日から3日半の後、2004年11月25日木曜日の午前中に父は息をひきとりました。父は亡くなる直前まで「先生は今どうされているのか。」といつも気にかけていました。「幸せな人生だった。神様に感謝している」と私に話してくれました。