信仰のキセキ

定年後、娘を通して聖書を学び、伝道された話

定年後、聖書を学ぶようになる

私は今年77歳になりましたが、17年前60歳の時(1998年)、先生に初めてお会いしました。
その当時のお話です。長い間サラリーマン生活をしていましたが、定年になりました。

当時、娘が韓国に留学していましたが、1998年の4月に2週間帰省した際に聖書の勉強を勧められ、毎日講義を聞きました。

月明洞への訪問

定年退職して時間ができたので、6月に韓国に遊びに行くことになりました。

韓国では最初にソウル観光をし、2日目は娘がホテルで時についての講義をしてくれ、そのまま月明洞に行くことになりました。

月明洞に着いた時、最初に「ここは別天地だ」と感じました。

その日先生が済州島の巡回から帰ってこられたので、多くの人と一緒に出迎えました。車からお宅まで多くの人が並んでいましたが、先生は私たちのところにまっすぐやって来られて「よくいらっしゃいました」と言って握手してくださいました。その時の先生の第一印象は「何だ、普通のおじさんじゃないか」と、その時は大変失礼ですがそう思いました。


先生はその足で私たちを岩の造景のある場所に連れて行ってくださり、回りながら一つ一つ岩の説明をしてくださいました。多くの人がいましたが、私たち親子のために時間を出してくださり、そのまま自然聖殿や薬水の隣の洞窟の中まで案内してくださって驚きました。

そして、先生の家族だけが出入りするお部屋に通して下さり、お母様にご挨拶させていただきました。さらに先生は「一緒に食事をしましょう」と、お宅に招いてくださいました。先生と同じお膳で雑穀ごはんをいただきました。先生はものの5分位で召し上がられ、私たちが食べ終わるのをナッツをポリポリ食べながら待っておられました。

そして私に「娘さんのことはご安心ください」とおっしゃいました。どうも私の心を見抜いておられたようです。また、娘がここでどんな大事な使命を果たしているのかを説明してくださいました。そして、宿は近くの温泉宿にと、送り迎えもあわせて手配して下さいました。

3日目朝早く月明洞に着きましたが、もう先生はそこで多くの人を指揮して八角亭の池の工事をされていて、作業を急いでおられました。(そして半年後、ヨーロッパに発たれたのでした)

しばらくすると、先生が急に作業指揮を止め、そこに準備されたゴルフカーに乗られました。そして私を助手席に、娘を後ろの席に座らせると、ご自分がハンドルを握って月明洞観光に出発しました。普通だったら、誰かに観光ガイドやらせてご自分が作業指揮を続けるだろうと思いました。

展望台、ソンファンダン、先生のお父様の墓所などを回って山から下りて更に岩の造景、祈りの洞窟などを回りました。それぞれの地点で下車して、詳しい経緯を先生が具体的に説明してくださいましたが、その壮大さに驚き、その熱意に心打たれました。

4日目はテドゥンサンに行きました。先生の所に朝早く伺ったらテドゥンサンを案内しましょう、と若い男の子二人と女の子二人を呼んで細かく指示をされていました。

車でテドゥンサンの登山口まで行き、急な山を登りましたが、私たちはそれぞれタオルを手渡され、「この端を掴んで下さい」と言われ、若い子二人がそれぞれ交代で引っ張ってくれました。

どうやら、そうしてあげるようにと先生がそこまで細かく事前にお話しされていたようです。そして、私たちも先生がお祈りされていたという岩の上で祈ると清々しい気持ちになりました。

5日目は先生が修了式をやるからあなたも出なさいとおっしゃいました。芝生の下の方に大きな舞台が組まれ、芝生に大勢の人が次々に集まり、講義がはじまりました。舞台で先生が大きく掲げられた絵を次々に見せながら、詳しい説明をしてくださいました。私は韓国語はまったく解らないので、先生が予め通訳者を3人手配して下さり、交代で通訳してもらいました。講義が始まったのは昼の12時半で終わったのは夜の8時半でしたが、この間先生は一度も休憩されずぶっ通しで熱く語って下さいました。

今振り返ると、私はこの時に先生の偉大さが身の染みて分かり、この講義を聞いて自分の考えががらりと変わったように思います。

6日目の朝、先生にご挨拶に行くと、近くにいる人を呼んでお金を渡し、人参市場に連れていって高麗人参を買ってあげるようにとおっしゃいました(月明洞一帯は高麗人参の産地としてとても有名な場所です)。
市場に着くと、そのメンバーが、沢山あるお店の中で6年物の人参を扱っている店に入って値切りました。文化も言葉もよくわからない私にとっては、まるでけんか腰の交渉に見えもしたのですが(笑)、そこで値切り、また他の店に入って値切りして、こんなに沢山人参をどうやって持って帰るだろうというほど買ってくれました。その日は先生が外出なさっていたので、お礼を言うことが出来ずソウルに向かいました。

7日目、ソウルから松山に帰りましたが、高麗人参も無事に持ち帰ることができました。
家に戻ってから、先生の気配りとご配慮に本当に感動しました。そして無事に帰って来られたこと、たくさんのお土産を持たせて下さったこと、たくさんのよい思い出を下さり、何よりも、心を覆すような御言葉を下さったことなど、先生にお礼の申し上げようもない位です。

私は、先生に伝道され、今日まで松山の地にある教会で信仰生活をしてこられたことを誇りに思います。そして、これからも先生を師と仰ぎ、しっかり生きていきたいと思います。

※地元の松山で観光案内をしています。
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