初めての一人暮らし
高校3年生で進路を決める時、私には特に目標がありませんでした。ただ漠然と、おもしろそうに思える心理学でも勉強してみようかな、親元を離れてみたいな、というくらいの気持ちで、両親が勧める大学進学を決めました。そして、運良く、自分の実力よりは高めの、東京の大学の社会学部に入学することができ、多くの人たちがそうであるように、大学生活に期待をふくらませて上京しました。
初めての一人暮らし。何もかも自由であるという開放感はありましたが、家に一人でいる寂しさと、身の回りのすべてのことを自分でやらなければならない大変さも感じました。自分一人を律して管理することが、当時の私にとって簡単なことではありませんでした。
葛藤する大学生活
私は、次第に学校に行かなくなりました。寝続けては、隣の本屋で数時間立ち読みをするような日々を続けました。目標を持たずに大学に入った私は、何のために勉強をしなければならないのか答えが出ず、勉強に対するモチベーションが上がりませんでした。また、大学での希薄な人間関係も嫌でした。サークルの新歓コンパに行った時、衝撃を受けました。次々と合唱されるコールに合わせて一気飲みをする人たち。酒に酔って、初対面なのに互いの体を触り合っている男女。そして、その関係はその場限りで、親しくなったようでいても、飲みが終わって酒が抜ければ、また他人同士という人間関係。「何なんだ、これは?」と思う日々でした。普段の人間関係も、本当の親しさで接するのでなく、うわべだけで、とても虚しいのです。
私自身も人間関係が苦手でした。自意識過剰で、人にむやみに迎合するのは格好悪いと思っていて、初対面の人と接しても、自分と合わないところや良くないところばかりが見えてしまうような人間だったためです。
自分に自信が持てませんでした。自分を好きになれませんでした。自信が持てないから、良く見せようとして値段が高くて個性的な服を着たり、自分の個性を持ちたくて、様々本を読んだり、映画を見たり、多くの人の話を聞いてみたりしました。また、自分に自信が持てないから、人から愛されることを願いました。その愛と認められることによって、自信を持ちたかったのです。
しかし・・・どれも、願った通りにうまくいきませんでした。どんなに高い服を着ても本当は自信がないし、本も映画も旅することも人の話も、自分の核を完全に作ってはくれませんでした。情報があまりに多すぎて、どれも正しいようにも思えたし、あるいはどれも間違っているように思えました。そして、私を本当にわかって命を懸けて愛してくれる人はおらず、変わらない愛もありませんでした。
人間にとって、自分を認め愛することができないことと、自分を真実に愛し理解してくれる人がいないという事実と認識は、耐えられない苦しみではないでしょうか。
教会で聖書を学び、人生の問題の答えがわかるようになる
私が教会で聖書を学び始めたのは2000年6月、当時、大学3年生の時でした。
私は初めて教会の人たちと出会った時のことを思い出すたびに、神様は本当にいらっしゃるということを改めて感じます。
聖書の御言葉を聞き、私がどうして生まれて何のために生きるのかということ、私を誰よりも真実に大きな愛で愛して下さる存在が誰であるのかということ、人間として生きる中で何が善で何が悪であるのかということ、私がどのような姿に自分を作って行けば良いかということ、愛が一体何かということ、など、私が本当に喉から手が出るほど欲しかった人生の問題の答えをはっきりと教えていただくようになりました。
聖書を学ぶようになり、15年が経ちましたが、年が経つにつれてますます、幸せだ!という思いが深まるばかりです。
幸せなこの道を見出し、歩めるようにしてくださった神様に心から感謝申し上げます。