私は大学1年生のときに摂理に出会いました。
摂理と出会う前の私は、他人との関わりを積極的にもちたがらない、
どちらかというと内向的な性格をしていました。
社会全体が見た目の華やかさやセンセーショナルなことばかりを評価し言及することや、
現代社会の表面的で希薄な人間関係に違和感を感じるうちに、次第に人との深い関わりを
避けようとしていたのだと思います。
「このような社会でこのまま大人になって、将来は一体どうなるのだろう?」と
人生に対する切実な問いかけをしては答えはないまま過ごす日々でした。
しかし、そんな時に出会った摂理の兄弟たちは全く違いました。
いつも互いに温かな愛で接し、みんながひとつになる姿が輝いて見えました。
それまでに感じたことのない魅力あふれる姿で、なぜそれほどまで私を惹きつけるのか
不思議に思うほどでした。
その謎も、摂理の先輩たちに勧められて学ぶようになった聖書の御言葉で
神様の真実な愛と先生の姿を知り、すべてが解かれました。
先生こそが「神様の愛」を実践された方であり、その愛を受けてきたのが摂理の先輩たちだったからです。
先生はどんな人にも「神様の愛」で接し、ご自身のもてる全てを施してこられた方です。
「『心をつくし、精神をつくし、
思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、
『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。」(マタイによる福音書 22:37-39 )
先生はどんな時でもこの愛を誰よりも実践されてきました。
そして、今も先生はご自身の全てのことを差し置いて全世界と私たちのために祈り、
神様と全ての命を愛する心で、私たちが生きるべき人生の道を教えてくださっています。
10年前までは人との深い関わりを避けたりして将来に希望を見出せなかった私も、
今では先生が教えてくださった愛を実践する医療者になりました。
患者さんと関わる中ではさまざまな苦労があります。そのときに決まって思い出すのは、
私たちのためにどんな状況でもその愛を実践されてきた先生の姿です。
「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」
(ピリピ人への手紙 4:13 )
誰よりも神様を愛して御言葉を実践し、その愛を教えてくださった先生の姿を思うからこそ、
私もその愛で患者さんと接することができます。
先生が私に命を愛する心を与えてくださいました。
私の人生に対する切実な問いかけに、先生が生きる姿をもって答えてくださいました。
私はいま、感謝と決心を告白します。
「どんなことがあっても変わらず神様を愛します。そして、先生がしてくださったように、多くの人に神様の愛を伝えていきます。」