生活のキセキ

宗教嫌いな私がなぜCGMで信仰をもつようになったのか?

なぜ私がCGMにいるのか。信仰をもつようになったのか?

今でも不思議です。

なぜって?
日本人にはよくある、宗教嫌いタイプだったから。

「神様、聖書、宗教なんてなんだか怖いし、良くわからないし、あなたが宗教に入るのは勝手だけど、私にだけは勧めないでね。私には必要ないから」強くそう思っていたし、そういうオーラ丸出しな私でした。
たとえ、仲良しな友人から勧められたとしても、信仰を持つことは難しかったであろう私。
では、なぜ今は摂理に伝道されて信仰を守っているのか?

神業!!
それは神業と言うしかありません。
人間業ではなく。神業。

私が摂理に呼ばれた きっかけ

当時バイト先で私の次の時間帯に入っていたAさん。彼女とは引き継ぎの10分くらいを共にするだけの関係。
ある日、引き継ぎ中、彼女から

A「ねえねえ、Bさんのこと、知ってる?」と聞かれて

私「?誰だっけ?Bさんって、私の高校の時に一年だけ転校してきた同級生にBさんっていたけど。そのBさんのこと?でも何でAさんが、Bさんのこと知ってるの?」

A「そうそう、あなたの高校の同級生のBさんだよ。最近、Bさんと知り合って話していたら、同じ人(私のこと)知ってるかもねと、盛り上がったんだよ」

私「えーーーーそうなんだ、すごい。こんな偶然もあるんだね。同級生っていってもBさんとは、連絡取り合うほど仲良くしてたわけじゃないから、高校卒業してから会ってもないし、連絡先も知らないよ。」

と、こんな感じで、高校の時そこまで沢山遊んだり話したりした友人ではなかったけれど、高校の同級生と東京で再会することになりました。

私と細ーーーーーーい糸で切れてもおかしくないくらいの関係で結ばれていたAさんとBさんが、二人とも別々の摂理の教会に先に伝道されていていたのです。

しかもAさんとBさんは摂理の所属する教会が違うから、普段そこまで会うことも、対話することもなかったはず。
ある摂理のイベントでたまたま二人が出会い、出身地の話をしていて共通の知り合いに私がいるということが判明。それがきっかけで、間もなく私が呼ばれたということでした。

最初は疑いながら聞いていた

宗教嫌いだった私に、神様が絶妙のタイミングであらゆる方向から人を通して、環境を通してアプローチしてくださいました。
聖書を教えてもらうにも、最初は疑いながら聞いていました。
もし、へんな団体だったらすぐに断ろう、そう思っていました。

しかし、聖書や神様に対して誤解していたのが自分だと気づくようになり、元々持っていた、宗教の悪いイメージは次々と崩れ、宗教に対する様々な誤解はすべてなくなり、22歳で宗教アレルギーに幕を閉じました。
それからというもの、摂理の御言葉によってあまりにも自分自身が良い方に変化しました。
変えたくても変えられず半分諦めていた自分自身を、次々と変化させることができるようになりました。
摂理の中であまりにも多くの神様の働きを感じて、人生の問題も解決し、時が流れ、摂理で結婚、出産、今に至るわけです。

神様に呼ばれた

宗教に対する間違った考えをあの時もし捨てることができなかったなら?
今の私は存在しないし、この家庭も存在しません。
想像しただけでも、ぞーーーーーーっする話。

神様が、誰にも分からないであろう私の性質、心の中を全てご存知で、神様が直接呼んでくれたことを感じるしか無いです。

だから、誰に呼ばれたのか?というなら、神様に呼ばれたというしかありません。

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