ぶどう膜炎の診断を受ける
小学校の高学年から右目に黒い点が見える飛蚊症があったのですが、年を経るごとにその黒い点の数が増えていきました。
高校になり眼科に行ったところ、ぶどう膜炎という目の病気であることが判明しました。
この時すでに数え切れないほどの小さな黒い点が常時目に見えている状態でした。
白内障の診断を受ける
大学4年生になり、東京大学の大学院を受験するため一日15時間くらい勉強しました。気がつくと電気スタンドの電気をつけたまま寝ていることもしばしばでした。
あるとき目が覚めると目がぼやけていました。時間がたつと直にクリアーになると思っていたのですが、なりませんでした。眼科に行くと白内障と診断されました。
その後、白内障の症状は一向に回復することはなく、右目が見えなくなってきたので白内障の手術をすることにしました。私を執刀した医師は、白内障の権威でした。今でも他の眼科に行くと綺麗に人工の眼内レンズが入っているとほめられるのですが、神様が良い医師を送ってくださいました。
しかし、私の眼は眼内レンズを取り替えて見えるようになったものの、ぶどう膜炎という病気はそれほど快方には向かっていませんでした。
右目の失明
その後、私は社会人となりましたが、その日は突然やってきました。
朝、起きると何か顔の右半分に重い感覚がありました。1分くらい何が起こったのか分からない状態でいろいろ調べてみると、右目が全く見えなくなっていることに気づきました。目が全く見えなくなっていることを受け入れることができず、自覚するのに時間が掛かりました。
鏡で自分の顔を見ると右目が自分の意思に反して右を向いていて、カメレオンのような顔になっていました。鏡でみる自分の顔を見て、人生が終わったと感じました。このまま一生目が見えず、この変な顔で生きるのかという恐怖におびえました。
幸運なことに、この症状は3日かけて快方に向かいましたが、あまりにも目の内部がはれていて、炎症を起こした細胞が視界をさえぎっていたのでした。このとき、自分のぶどう膜炎というのは本当に恐ろしいものだと改めて感じました。いつしか網膜を攻撃して失明するかもしれない、という不安の中で生活するようになりました。
ぶどう膜炎は原因不明
それから数年後、大学病院で精密検査を受けました。わたしのぶどう膜炎の原因を調べるためのものです。しかし、原因は不明でした。ただ、そのとき、医師からは「ぶどう膜炎は炭火の状態になっていて、ピークは過ぎている、それほど目薬も必要ないだろう。」といわれました。その診断自体には安心しましたが、目の症状を一番わかっている自分自身には、まだ黒い点が見えるし、体が疲れたときに何となくその点が増えている感じがするし、夜に電灯をみると周りが白くぼやける(ハレーション)ので、全く安心できずにいました。
10年をかけ、徐々に回復
それからさらに10年程時が過ぎました。
最近なんとなく右目だけで蛍光灯を見てみたのですが、 左目と比較して全くハレーションがないこと気づきました。さらに目に見えていた黒い点も、少しはまだ残っているものの、目の中心部にあった黒い点はほとんど消え、全く気にならなくなっていることに気づきました。
祈りの力を信じ、希望を持って積極的に行なって生きたとき、神様が奇跡を起こして下さり、 私の目を癒して下さいました。
原因のわからない私の目の病気は、天との経緯を作るためのもの、また、神様を証するために天が与えて下さったものだと今では確信するようになりました。