信仰のキセキ

人格に折れました。

そもそも、どうして摂理の御言葉を聞くようになったのか。
最初から神様を信じたわけではありません。御言葉がとても良かったと思ったわけでもありません。

ただ、1つ言えることは、同じ御言葉を聞いているメンバーたちがとてもよくしてくれることが良かったことです。

つまり、人格に折れました。

はっきり言って、御言葉自体は基本となる講義を全て聴き終わっても、あまり価値を悟れませんでした。価値を悟り始めたのは、礼拝に参加するようになってからです。現在も、完全とは言えませんが…

私は、人見知りの性格でした。打ち解ければ話せるのですが、そこまで自分から一歩踏み出すというのが苦手でした。

そんな私に対しても、初対面のメンバーでも暖かく話してくれました。この人だけ!とか特別なことではなく、誰彼問わず皆が素のように接してくれました。

メンバーと過ごす時間がとても居心地が良くて、それが目的でイベントに参加していました。
最初はただただ人を見ていたのですが、御言葉を学ぶようになり、礼拝に参加するようになってから、段々と本物の摂理を感じるようになってきました。

今まで、メンバーが私に接してくれたこと。それは全て、先生が私たちに対して接してくれたことでした。
先生は、新しく来た人には特に良くしてくれます。もう新しくないので、新しい人が羨ましいです(汗)

メンバーが私にしてくれたことは、全て先生がしてくれていたことだと考えると、本当に感謝でした。

それと同時に、先生が何を願われているのかを分かるようになってきました。先生が行なって来たこと全てが、先生が私たちに望んでいることでした。先生が自ら模範となってくださいました。私たちがそのように行なえば、この世界は本当に愛と平和が溢れる世界になるしかありません。

摂理を選んだ理由は、他に行く場所がなかったのもありますが、メンバーと接すれば誰でも、選びたくなると私は思います。

御言葉だけではなくて、誰でも愛してくれる先生の精神。
私も広めていこうと思います。

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