幼稚園からミッション系の学校で育った私が摂理と関わるようになったのは、社会人1年目、23歳の時でしたが、物心がついてから10年以上、毎日私の頭を悩ましていた問題がありました。それは、「なぜ世界は平和ではないのだろう。もっとみんなが仲良くなれる生き方があるはずなのに。」「人はなぜ生きるのだろう。世界が平和でないのに、自分だけが幸せに生きて、それでいいだろうか。」「先進諸国は、物質的には豊かでも、精神的には貧しい。何か大切なものを失っていないだろうか。」「現代社会は、何かが間違っている気がする。それは何だろう。」といった根源的な問題です。学校で一生懸命勉強しても、ありとあらゆる本を読みあさっても、世界各地を旅しても、名門と言われる大学で研究しても、世界の著名人の講演会に参加しても、留学しても、10年以上、答えを見つけることができませんでした。可能性を見出して1つ挑戦する度に、1つ可能性が潰れていくことが、私の苦痛を極めました。どんなに頑張って行動しても、日本はおろか、世界のどこにも<真理>を見つけることができず、「これ以上、どこに行って、何をすればいいのだろうか?」と、とても絶望的だったのを昨日のことのように覚えています。
当時の私の様子が、聖書の聖句と重なります。
主なる神は言われる、
「見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る。
それはパンのききんではない。
水にかわくのでもない。
主の言葉を聞くことのききんである。
彼らは海から海へさまよい歩き、
主の言葉を求めて、こなたかなたへはせまわる。
しかしこれを得ないであろう。
その日には美しいおとめも、
若い男もかわきのために気を失う。
(旧約聖書・アモス書8章11節~13節)
渇きのために気を失った私は、主の言葉を求めて、最終的に摂理に辿り着くようになったのですが、摂理の御言葉を聞いて、本当に感激しました。これまで抱えていた全ての疑問が御言葉によって解かれ、真理であり、道であり、ずっと探し求めていた答えをようやく見つけることができて、いつも摂理の御言葉を聞くたびに、摂理と出会えた奇跡に感謝し、感謝のあまり自然と涙がポロポロと溢れました。その感謝は、今も絶えることがありません。
ところで、私が摂理に来た時の状況は、信仰生活を送る上では、決して恵まれた環境ではありませんでした。
第一に、社会人だったから、まず学生よりも時間がありませんでした。最も、学生も社会人も、忙しさは人によってまちまちであり、何に時間を投資するかは人によると思いますが、一般的に、学生よりも社会人に自由な時間がないことは事実でしょう。第二に、仕事の関係で、土日祝日休みの仕事ではありませんでした。摂理の教会に通う者にとって、最も大事な主日礼拝にあまり参加できない状況で、肩身の狭い思いをしました。第三に、所属教会まで電車で約2時間という遠距離に住んでいました。常識的に考えて、オフの日に通うのは、心身ともに億劫な距離感と言えます。第四に、一緒に暮らす両親の猛反対に遭遇しました。そのため、1年くらい、全く教会へ行けなくなった期間もありましたし、大好きな両親との関係がこじれてしまったこともありました。
こうした状況下では、摂理と疎遠になることも容易であったし、むしろ通い続けるのは簡単なことではありませんでした。それでも私が摂理の教会に通い続けた理由は何だったと思われますか。
理由は、ただ1つです。ここにしか、答えがないことがはっきりとわかったから。それだけです。あれだけもがいた10年以上の月日を経て、摂理に来るようになったから、摂理の御言葉にしか、人生の答えがないことがはっきりとわかります。だから、どんな困難なことがあっても、誰に何と言われようとも、摂理を辞めようと一瞬たりとも思ったことが本当にただの一度もありません。貴重な時間を間違ったところに投資する時間はありませんから、ここに人生の答えがなければ、さっさと脱会したことと思います。
摂理に来て数年が経ちました。答えがわからなくて、生き地獄のように辛かった人生が、天国のような幸せな人生に変わりました。全てを導いてくださった聖三位と主に本当に感謝します。これからも、喜びの涙を流しながら、私はずっと摂理にい続けることでしょう。