-まずは聖書を学び始めたきっかけを教えてもらえますか?
学生の頃は鹿児島の大学に通っていたのですが、3年の冬に就職や今後の人生について考えていた時期に聖書を学ぶようになりました。大学生も終わりが見えてくると少し虚しさのようなものを感じてきて、自分の個性や自分にできることはないのか、と悶々(もんもん)と考えていた時、自分を知るために聖書を学んでみるといい、と紹介してもらいました。聖書を紹介してくれた方は同じ大分出身だったのですが、たまたま鹿児島に観光に来ていた時に出会うようになり、同郷仲間として意気投合しました(笑)。
-元々、聖書についてはどう考えていましたか?
大学の専攻は人文学科でヨーロッパやアメリカの歴史や文化・言語を学んでいたのですが、その中で聖書が関係することが多かったので興味はありました。たとえば授業の中で、マグダラのマリアとイエス様が出会うシーンが引用されていたことは特に印象に残っています。
また、大学4年生で留学に行く予定もあったので、留学先の文化への理解を深めておくという準備の意味でも学んでみたい、という気持ちがありました。
そして、大学の友人がたまたまクリスチャンだったんですよね。私は元々、宗教は危ないという抵抗感があったのですが、初めて神様を信じているクリスチャンに出会って、びっくりしたことも覚えています。
-大学4年生の頃、1年弱ヨーロッパ留学に行かれそうですが、そこで感じたことはありますか?
留学先の一つとして、フランスのブルターニュ地方に留学したのですが、そこで聖書を題材にした絵画を見たりする機会がありました。
-留学先で実際に聖書に関する文化などに触れられたのですね。その他に聖書を学んで印象に残ったことはありますか?
最初の頃は、宗教に対する偏見もあり、危ないものではないか、と疑ったりしていたのですが、教会の方々の考え方に感銘を受けたり、何かキラキラと輝いているように感じたことが学び続けた理由の一つです。
また、この聖書の言葉をみんなが実践すれば、世界平和が成されるだろう、とも感じていました。
そして、地球温暖化など環境問題への課題意識も元々あり、人間が自然界と調和しながら生きるにはどうすべきか、という問いへの答えも聖書の話を通して得られるようになりました。
-普段はゴミ拾いなどのボランティア活動を行われているそうですね。
私は元々、鹿児島の大学を卒業してから、千葉で2年勤め、それから岡山に来て3年目になるのですが、岡山に来た最初の頃から関わっています。
定期活動としては、月1回に教会周辺のゴミ拾いを行っており、コロナ前のオフラインの時には近くの河川敷や駅前通りをみんなで清掃していました。コロナ禍では集まることが難しくなったので、各自が近所の公園など好きな場所で清掃し、最初と最後にオンラインで繋げています。
また、不定期活動としては、例えば古着を集めてワクチン寄付も行っています。1箱3,300円の専用キットを購入し、古着を集めて送ることで寄付ができるものです。
-コロナ支援にも関わっていらっしゃるのですね。普段のゴミ拾いの参加者の感想としては、どのような声がありますか?
最近は年末も近づいてきたこともあり、ゴミ拾いをしながら、自分自身のやり残したことを点検したり、振り返るという方が多いような気がします。みなさん、ただゴミを拾うだけではなく、いろいろと考えながら拾われている方も多いので、感想を聞いていると、深いなあ、と感嘆することも多いです(笑)。
また、ゴミ拾いをしていると近所の方が声をかけてくださることもあり、嬉しいですね。
-ゴミ拾いなどのボランティア活動を通して地域にも貢献されているお話が聞けて心温まりました。本日はありがとうございました!