私(右)は、2002年に38歳で摂理に行くようになりました。
当初どうにも苦しいことがあって、ある時から神様にすがりたい気持ちになり、友人に教会を紹介してほしいと一年間頼み続けました。その間に聖書も初めて読み始めてみましたが、あまりにも膨大でかつ内容が難しいため、一人ではどうしても読み続けることができず挫折してしまいました。
友人にお願いし続けて、ようやく聖書を勉強できる機会を頂けるようになりました。自分から切に望んだことではありましたが、それまで、宗教的に何かを信じるということは、自分にとって嫌悪感に似た葛藤を感じるものでもありました。受け入れたい反面、宗教というのは理屈に合わないことを無理やり信じなくてはいけないというような考えがあったからです。ところが、初めて聞かせていただいた聖書の御言葉というものは、すべて理屈に合っていて納得できました。これなら自分でも抵抗なく信じられると実に嬉しく思いました。
聖書の言葉が一つひとつ解け、神様と主が自分を愛してくださること、自分に何を望んでいらっしゃるかをはっきり悟り、いつしか神様、イエス様が人生の師となりました。生きる喜び、夢、希望、目標、自負心、何もかも失った状態で摂理に来て、何もかも取り戻すようになりました。 本当に感謝の気持ちで一杯です。
主日礼拝に初めて参加した翌年に、鄭明析牧師の故郷である韓国のウォルミョンドンに初めて行きました。先生(鄭明析牧師)がイエス様の導きで修業された山に登ってお祈りした岩棚で祈った時、強い感動が来ました。私はお祈りがひどく苦手で、それまで深く祈れたことがなかったのですが、そこで初めて泣きました。先生が立ててこられた条件の凄まじさを肌で感じた瞬間でした。あんな山奥で、たった一人で、寒くても寂しくてもお祈りし続けた先生の苦労を切に感じると同時に、自分が救われたことを改めて実感しました。先生自身が、人生と聖書の御言葉がわからないことが本当に苦痛で、切に神様とイエス様に願い求めてもらったのが摂理の御言葉でした。
やがて両親2人も御言葉を聞くようになりました。2人も御言葉を聞くことで聖書の素晴らしさを知ることができ、今では「我々は摂理に対してあまりにも知らなさすぎた。実際、半信半疑、御言葉を聞いてみたが衝撃を受けた。この凄さは御言葉を聞いてみないと分からない。」と口にしています。
また結婚しても子供がなかなかできず不妊治療をしてもうまくいかないのが悩みでしたが、先生にお祈りしていただいた後には不妊治療が成功して、子供が生まれるようになりました。
人生の悩みを何もかも解決してくださりあらゆる祝福を与えてくださった聖三位と、導いてくださった先生に心から感謝します。
ここから、父の紹介をさせて頂きます。
私は1935年に長野県の田舎で生まれました。
キリスト教とは縁の遠い所で育ちましたが、高校生の頃読書会に入っていまして、その会でバレーボールをしたり、合唱をしたりもしました。その時に、讃美歌を一曲だけ習って、今も覚えています。「神共にいまして」という讃美歌でした。
大学を卒業して勤めて、目黒にある会社の営業部に配属されました。26歳の時でした。27歳の時結婚して翌年一人息子が生まれました。その子が2歳 になる年、営業で担当していた会社の仕事が栃木県の小山に移るので、社長に直接進言して小山に営業所を作り赴任しました。37歳の時に脱サラして自営業に なりました。
聖書を学ぶきっかけとなりましたのが、2008年72才の時です。子供たちのプレゼントで、イタリヤのフィレンツェとシエナへ旅行することになりま した。フィレンツェとシエナは、要塞と教会と宮殿の街です。ここで見た美術品、建造物のほとんどがキリスト教に因む物でした。改めてキリスト教を知らなく ては欧米の文化が分からないと思いました。そのことがあって息子から聖書の勉強を勧められて、私自身も興味はありましたので「とにかく勉強してみよう。た だ信仰はまた別問題、その結果だ」と「踏ん切り」ができたのでした。
聖書を勉強していく過程で、その奥深さや神様の存在を少しずつ学ぶようになり、とても面白かったです。とある日、息子から摂理であるということを話すようになりました。
自宅に戻って来てから、早速、ネットで摂理を検索して読みまくりました。摂理に対して、いろいろなことがネット上に書いてありましたが、「自分の息 子が信じていることだから、私も絶対に信じよう」という思いが込みあがり、また私の疑問は、「御言葉」と「箴言」の中で答えていただいていたのでした。娘 (息子の嫁)に話すと「お父様は神様に本当に愛されていますね」と言われ、神様の愛を感じた瞬間でした。
5月に教会デビューしました。間もなく筑波での聖霊集会に参加して、聖歌『祈りなさい』の「あなたは命で買った私のもの」という詞に泣きました。高校時代から4,5年私は「死にたい」と思って、苦しんでいた時期がありました。その時のことを思い出して「私の命ではない、主の命だった」と気が付き、思い切り泣きました。
去年も5月にウォルミョンドンへ行きました。「先生が魂で発見してお指図をされて」発掘したばかり、という洞窟に入らせてもらいました。先生が「この洞窟は聖霊様の胎の形象だ」と仰ったそうです。私はその時「水と霊とから生まれなければ、 神の国にはいることはできない」というヨハネによる福音書3:5を思い出しました。「これほどはっきり見せてくださった」と思いました。
私は今年8月に80歳になります。御言葉で毎回「悟りなさい。行いなさい」と仰いますが、この頃体力が衰えて、何もできません。申し訳なく思っています。
主日礼拝にいつまで参加できるか、心もとなく思う時があります。一回でも長く、夫婦二人で主日礼拝に参加できますように、毎日お祈りしています。
御言葉を聴きに行く朝梅白し 勇八
教会へ古巣の下を通ひけり 歌子