信仰のキセキ

信仰と実践を教えてくれた

私は、大学生の時、キリスト教福音宣教会の教会に来て、聖書を学びはじめました。当時の私は正直、牧師などの聖職者に対して、偏見を持っていました。自分の名誉を求めている人がほとんどだろうと思っていましたし、実際に自分を神格化する宗教指導者も多くいたからです。

キリスト教福音宣教会の教会に出会って、説教を聞いてみると、先生はいつも神様の威厳を立てようと「神はただお一方だ、人間は絶対に神にはなれない。私はイエス様のお使いとして、手足となって神様を助けてさしあげるだけだ。」と話されながら、イエス様の御言葉を証され、人々が神様を信じることができるように導いていらっしゃいました。

また、先生ご自身が貧困、飢え、いじめ、自殺未遂、戦争など、壮絶な人生を歩んでこられた中で「ただ神様だけが、私達の人生を救う方だ」と悟られたことを話されていましたが、その言葉には、多くの苦痛を越えてきたからこそ語れる心情深さを感じましたし、先生ご自身の自慢ではなく、そこに働きかけられた神様、イエス様に対する感謝と、真実な信仰心が感じられました。

先生は、ご自身のものをすべて捨てて、人々に神様を証して救うことに人生を投資されていらっしゃいますが、これほどにも、命をかけて神様の愛を伝えてくださる方には出会ったことがありませんでしたし、その生き方はまさにイエス様のようだと思いました。

このような先生の生を見て、この方は本当に自分の益のためではなく、真実に人生の中心を神様に据えて、神様の栄光のために行っているのだな、と感じるようになり、私の偏見と誤解が解けるようになりました。そして、先生が仰った通りに、私も神様により頼む生を実践した時、多くの苦悩や苦痛から救われ、先生の言葉が真実であることを実感しました。

キリスト教福音宣教会に出会って、信仰と実践を学べるようになったことを本当に感謝していますし、私もこの先生のように、キリストに似た愛を実践する者となっていきたいです。

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