当時、高校を卒業して、地方から大阪にある会社に就職して、働き始めて3年目の時でした。毎日、会社と社員寮の往復だけで地方出身者の私には知り合いと言えば、会社の先輩や同期しかいなくて、もっと、たくさんの人と知り合いたい、と考えていました。

今、考えると何か?生活の中で物足りなさを感じていたのだなと思います。

そんな時に、会社の同期が夜間の大学に通っているのを知りました。

その時、僕はピンと来ました。

「大学か?大学に行けば、様々な人と知り合いができるのではないか?また、自分自身の専門分野について、学べるし一石二鳥ではないか?」と思いました。

そう思って、調べると不思議なもので、ちょうど、社会人入学試験を受験するための条件を満たしており、すぐに受験することができました。

そして、無事に受かることができました。

入学式当日、私はドキドキしながら、入学式に参加しました。

「これから、会社に通いながら夜に大学に行かなければならない。忙しくてたいへんだろうな。」と

その時、摂理の方に誘われるようになったのです。誘われた時は、昼は仕事、夜は学校。土曜も授業があるし、休めるのは日曜だけだなぁと、時間がないから厳しいと思いました。しかし、私自身、新たな出会いを求めていたこともありましたし、参加するようになりました。

摂理の良いところの一つが、個性的な人が多いところです。個性があると言うことはある意味まとまりがないように思えるかもしれませんが、協調性がないと言うわけではなく、ある人はスポーツが得意ではないのにスポーツに参加していたり、また、ある人は芸術に関心があまりあるようではないのにゴスペルをしていたり、一緒に行なう中でも本当に個性がありました。(この事は私自身の願いと合致していました。)

でも、共通していることはみんなひたむきに努力し、積極的に挑戦している姿であり、何事をするにしても真剣に取り組み、参加する中で何かをえようとする姿でした。また、その分野が得意でない人たちに対して、得意な人たちが根気強く教えている姿でした。個性を否定するのではなく、受け入れ、その良いところを活かそうとし、何よりも人に対して、親切で気さくに対応する姿勢。その姿に好感が持てました。

(後(のち)に先生を知るようになって、わかりましたが、まさに命を愛される先生の姿勢であり、摂理の人の根幹をなしていることだと感じました。)

本当にみんな個性的であり、素敵な人たちだと感じました。

最初は、聖書を始め、神様等に関心すらありませんでした。しかし、当時の牧会者の方が「聖書の話を聞いてみない?プラスになることがたくさん書かれているから!」と紹介してくださったので、聖書を学び始めました。

衝撃でした。聖書にそんなことが書かれているなんて、そのような意味があるのか?と、

そして、私自身がそのようになりたいと思いました。

そうやって、聖書の話(御言葉)を学んで行くようになりました。

人は生活する中で、見るものや聞くもの、周りの人に影響を受けますよね?鄭明析牧師を知ること、御言葉を聞くことと、摂理の人と接する中で生活も変化していきました。今までの休日の過ごし方など生活スタイルも変わってきました。

鄭明析牧師ご自身の様々なエピソード(信仰生活を送る中でうまくいったこと、失敗なされたことや幼い時の出来事等)をとおして、悟られたことなどを惜しみなく教えてくださいました。鄭明析牧師の生き方は神様、聖霊さま、御子を愛され、その聖三位が人を愛されるように人を愛される方であり、あきらめることも止まる(漸進する)こともなく、ただ、聖三位の神様、聖霊さま、御子と共に生きられる方だと感じました。

私は摂理以外を知っているわけではありません。しかし、摂理でなかったら、鄭明析牧師でなかったらついて行くことはできなかったと思います。神様、聖霊さま、御子を中心として、私たち一人一人を愛し、その個性さえも大切に思われ、すべてを受け入れられる鄭明析牧師とその精神を持って生きる摂理の人。私という個性を聖三位が受け入れてくださる事を確信しましたし、何より、神様、聖霊さま、御子を愛して、永遠に至るまで生きる人生の素晴らしさを教えていただきました。

そして、何より、私自身、そのように教え導いてくださる鄭明析牧師と共に、ただ、聖三位の神様、聖霊さま、御子のために生きていく人生を歩んで行きたいと決心するに至りました。