私はものすごく否定的な考えの持ち主でした。また、神様の愛を感じられませんでした。

「神様があなたを愛している」と言われても、同じ御言葉を沢山の人が聞いているし、神様は隣の人を愛しているかもしれないけれど、私のことは違うだろうと思っていました。

「あなたは大事な人だ」と何度も言われ、その時はそうかも、と思っても、次の日にはやはり違うのではないだろうかと疑い、死にたいと思いながら、日々生きていました。(地獄ですね)

祈って、先生に切実に自分の状況を告げた時、先生がお手紙を下さいました。

「あなたの心をあなたが掴んで治めなくちゃいけないよ。主の御言葉で。」

「先生も先生の精神、心で続けて治めて主管してきた。それは祈りながらやることだ。私がお祈りしてあげるから。」

とおっしゃいました。

主の御言葉を何度も何度も聞き、祈り、天の助けを受けながら、ある時、悟りました。

「神様があなたを愛している」「あなたは大事な人だ」という主の御言葉を、受け入れない選択を私は今までしてきたのだな、と。そして、受け入れる選択肢も、私は選ぶことができるのだ、と。

それは、私が私の心を掴んだ瞬間でした。

「主の御言葉で私の心を掴む」ということは、主の御言葉を、私の心で受け入れることでした。否定的な自分の考えを捨てることでした。私が私の心を掴んで、その掴んだ心に、「自分は違う、該当しない。」と考えていた御言葉を入れることでした。

何をしてもずっとずっと変わらなかった考えが、先生のお手紙の通りに行なった時に、変わりました。その一言で、私は生かされ、人生が180度変わりました。

その時の光景は今も忘れません。いつもの同じ駅の階段なのに、まるで天国の黄金色のお城の階段をのぼっているかのようでした。まさに世界がバラ色、黄金色でした。

今まで何度も耳にした、「あなたは大事な人だ」「あなたは愛されている」という主の御言葉が押し寄せてきました。

そして分かってみれば、私がこの一つを悟った時、実は先生がものすごく私の為にお祈りして下さっていた時でした。

先生は私に1番必要な言葉を下さり、その通りにできるようお祈りして下さり、その結果、私の精神が変わり、人生が、生活が変わったのです。

それから数カ月間、否定的な考えを一切捨ててみよう、と実験を続けました。否定的な考えが浮かぶたびに、その考えを切りました。そうしているうちに、肯定的に考える癖がつき、今では昔の自分が嘘のようです。

たとえばこのようなことがありました。

最近私には遺伝病がある事が分かりました。どうやら50代後半あたりから、目がほとんど見えなくなるそうです。それを聞いた時、かなりショックでした。落ち込み、5分くらいたった時、ふとこのような考えが浮かびました。

「私がこの目で見るべきものは、すでに見た。本当に見たかったものは、すでに見た。そして私にこの人生を与えて下さり、見える目を与えて下さったのは主だ。与えるも主、奪うも主だ。目が見えなくなったとしても感謝だし、御心ならば、視力も奪われないだろう。遺伝子は問題じゃない。私の運命はもう変わった。私の人生は主のものだから、必要なものはすべて与えて下さる。」

このように考え、確信できたことで、私に来た患難は5分で片付きました。以前の私がこの問題にぶつかったならば、目が見えなくなるまでの30年、悩み、心配し、苦痛だったでしょう。

それがたった5分で済みました。

今では神様が大きく様々に祝福して下さり、本当に生きていてよかったと、死ぬほど心から思います。

私に必要なその一言を下さり、そのようにできるように祈って下さり、新しい奇跡のような人生を与えて下さった先生に、神様に、心から感謝します。