裏切られる時、人生で自分が一番みじめではないかと思う時、そういった極限の時、どん底の時、それを自分の観点ではなくて、「ただひたすら神様」神様を見上げて、神様の心で神様の視点で見ること考えることが出来る方、憎んでも恨んでもおかしくない時に恨まず赦し、神様が人間から受けている傷を慮る方が先生です。

私は先生と実際にお会いしたことがないです。つまり、インターネットを通しての映像で、先生が御言葉を伝えてくださったのを聴いたり、先生が書かれた原稿を説教者が伝えたのを聴いたり、先生が遣わした方を通して、先生がどんな方なのかを知った人です。

私が摂理で聖書の話を学びながら、悪評されている団体だとわかった時がありましたが、自分が聴いている話が脅迫的に信じなければ呪われるような洗脳的な話でなく、聖書をもとにして、無理がない話で自分の良心で納得出来る話だったので、むしろ熱心に悪評している方の心に何か問題があるのではないだろうか?と思いました。

私は知りたかった人なので、誰かが何と言おうがちゃんと教えてくれる可能性があるところでちゃんと学ぼうとその時、決心しました。

なぜならば、私はミッション系の中学高校短大に通って8年間キリスト教と聖書に触れていたのですが、私の質問にちゃんと答えてくれる牧師先生には会えなかったのです。

学校にはいないのだろうか?と思っていくつか教会を回ったり、それ以外の教団にも行ってみたりしましたが、聖書をただ読むだけで、人生を教えることが出来るところはなかったです。

文字通り死者が生き返るということを言われたときには、ああ、宗教は本当に駄目なものなのかも知れないと思いました。

私が知りたかったこと。それは、「いつか死ぬのに、生きる意味は何なのか?

良い生き方とはどういう生き方なのか?」「愛はあるのか?」この2点です。

誰もが一度は考えたことがあることではないでしょうか。高校の牧師先生に「アダムとエバが堕落したのはどういうことなのか?」と質問しました。

アダムとエバが堕落したから私たち後世に憎しみと苦痛が生じたのではないかと思ったからです。返答は「掛け算が出来ない小学生に因数分解は教えられないでしょう」と言われました。

むずかしい話なのか、そうか私が幼いからわからないのかと当時本当に素直だった高校生の私はそのように思いました。

が、進学進路人生についてより真剣に考え、人生の根本を知りたくて、昼夜悶々と考えている真面目な子に、人生の問題を解いてよい生き方を示す仕事をされるはずであろう牧師先生がそういう返答でいいのか?と思うようになり、これは神様がいるならば祈るしかないと痛感しました。

教えてくれない大人たちを恨むよりは、答えをもらう方が人生生きるに値する価値を得られると算出し、見えない神様に祈ってみました。

神様が本当にこの聖書を、人間を通して書かれた理由があり、イエスキリストが救いを持ってこられたことがどういうことなのか、私の人生に対する問いに対して、ちゃんと教えてくれる先生に合わせてください。イエス様が「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、主なるあなたの神を愛せよ。これが一番大切な、第一の戒めである、第二もこれと同様である、自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」とおっしゃいましたが、このように生きている人がいたら、その人が教えてくれる人だと思います。会わせてください。絶対に。私が生きている意味があるならば絶対に会わせてください。生きている意味を知らないで生きるならば、ただ食べて、眠って、繰り返すような生き方は犬とかわらないんじゃないですか?犬と同じ生き方で80年生きるのは辛いです。私がばかでも、なんでもない人でも自殺してはいけないならば、私がちゃんと生きたと言える生き方をしたいから、はっきりと教えてくれる人が本当に必要です。

そう祈りました。

そのような私が、摂理で礼拝を捧げるようになって2年くらいになった時、

マタイによる福音書11章28節「すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。あなた方を休ませてあげよう。私は柔和で心のへりくだった者であるから、私のくびきを負うて、私に学びなさい。そうすれば、あなた方の魂に休みが与えられるであろう。」が説教の聖句に上げられた時がありました。私はその時、この聖句が私の人生で成されているのを実感しました。

当時、先生は海外から毎朝1時間から2時間の御言葉を映像でくださっていました。時には3時間以上にもなるときがありました。朝5時から祈ってそのあとに御言葉を聴くと出勤時間がはらはらドキドキでしたが、聴く私以上に絶対に大変で、疲れるはずの先生が毎日毎日神様について、どう生きたらいいのか?を命かけて伝えてくださるから、よくわからなくても聴くしかない。まずは聴いて、そして考えながら生活の中で聴いたことを行って確認しようと思って、日々を生きていました。

人生かけて御言葉を伝えられている先生を通して、神様の御言葉で悪とは善とは何か学びました。

憎しみはどうして生じるのか?憎しみはどうしたらなくなるのか?神様の愛とはなにか?

私が知りたかったことが一つ一つその週の御言葉と生活の中で解かれて私の心が自由になっていることに、その聖句が自分の身に成されたことに気づきました。

ヨハネによる福音書8章32節に「真理はあなた方に自由を得させるであろう」

この聖句が真実に成されたのは、私が直接先生に会っていなくても、先生ご自身が辛い状況にあるとしても、神様を愛して、人生を悩む人が喜びで生きるように御言葉を伝える姿を見たから、先生が一番つらいだろう時に、人生を良く生きられるようにと一言でも多く神様の御言葉を伝えてくださっているのを見たから、私の先生は「いつでも、どんな時でも聖書の御言葉を誰よりも実践し、今も世界中で一番神様を愛して生きていらっしゃる方」だと紹介します。