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摂理の御言葉は本物だと思った

私は30年前からキリストを信じ、教会に通っていました。大変身近な存在に牧師がいて、私は全面的にその牧師の働きを支えてきました。自分も一生神様に仕えていきたいと強く決心していました。

しかし6年前、人生最大の問題にぶち当たり、神様の導きをよりいっそう求めるようになりました。礼拝説教を聞いても、有名な牧師に相談しても、根本的に問題は解けませんでした。それまでの教会の教えでは限界があったからです。しかし私は自分の信仰が足りないからだと思っていました。もっとちゃんと聖書を勉強しなければならない、もっとちゃんと信仰生活をしなければならないと思っていました。ちょうどそのころ、職場の同僚を通して、摂理の教会で聖書を根本から学ぶようになりました。

「目からうろこが落ちる(由来は聖書です)」とはこういうことだと思いました。10年以上教会学校で子供たちに、また信徒さんたちに聖書を教えてきた私にとって、また20年間、およそ3000回は聴いてきたであろう聖書の話をとおして、それまで親しんできた聖書がまるで別の書物になったかのように世界が変わりました。最先端の神学がここにある、今、文化文明が発達した現代、みなこの真理を学ぶべきだと思いました。私は長年、様々なところで牧師の説教を聴いてきましたが、「ここは本物だ」という言葉しか見つかりませんでした。一生仕えていこうと決心した神様が、この教会の牧師、すなわち先生に直接働きかけているのを実感しました。20年以上どうしても分らなかった聖書の謎が、次々に解かれていきました。それまで信仰を持っていても解決しなかった人生の問題の答えが、真理によって衝撃的に悟られました。もう分らないと悩むことはないのです。神様のことも人生のこともすべて「分って生きる」ことがどれだけ幸せなことであるか、想像できるでしょうか。

それまでの私は神様の前で何が正しくて、何が正しくないのか、ちゃんと分っていませんでした。私は若い信徒さんたちから相談を受けることもありました。神様を信じて教会に行っているのに、なぜか平安を得られず苦しんでいました。実際は、神様が「これをしなさい」または「これはしてはいけない」とおっしゃっていることがどんなことなのか、実体として教えてくれる人がいなかったからでした。また私自身もそうでしたが、心は神様の教えを喜ぶのに、実際は逆のことを考えてしまう、またはしてしまう矛盾を抱えていました。どうしてそうなのか、分かりませんでした。どうしてうまくできないのか、ちゃんと分ったらどんなにいいでしょうか。そのことを直して、より真の幸せの道を行くことができるからです。

また、世の中の状況をみると「世界平和への祈り」が不思議なものに思えていました。聖書には、将来起こるべき事象として「多くの人の愛が冷えるであろう」また、「天体が揺り動かされるであろう」と書いてあります。これがどういうことなのかだれも教えてくれる人がおらず、世の中はどんどん悪くなり、天変地異が起こり、地球が滅びるのは時間の問題だと思っていました。可哀想だから子孫を残すことにも抵抗がありました。これから悪くなると聖書にも書いてあるのに、なぜ世界が平和になるように祈るのだろう?と思っていたからです。しかしここ摂理で先生は、私が間違っていたことを教えてくださいました。神様は全人類が平和に幸せに生きることを、ずっと、だれよりも望んでおられたのだ、ということがはっきりと分かりました。間違って信じるということはどんなに恐ろしいことでしょうか。何が正しくて何が間違っているのかをみんなが知って、そしてそのとおりにすることによって、真の愛と平和の世界を作ること。これがやはり神様の御心であったと知った喜びは本当に言葉では言い表せません。

またこの先生を通して働きかけている神様の愛の実践力を目の当たりにしたとき、神様の御心がこの地上においても必ず成されることを確実に信じることができました。どれだけ希望でしょうか。

長い間、私は聖三位の愛はそれなりにわかっているつもりでした。全知全能ではるか上の遠くに座して威厳と尊厳をもつ絶対的な存在で、大勢の中のひとりとして私を愛してくださっていると思っていました。しかし本当は、もっともっと私と近くになりたくて、顔と顔とを合わせて、無条件の愛で、無限な愛で、どこまでも祝福しようと奔走してくださる熱心な愛を、涙を流しながら、私のために苦しみ悶えながら、それでも私を愛するしかない聖三位の愛を、そのことを摂理の先生が教えてくださいました。神様の愛そのものが先生の中に実体としてあるからです。ぜひ多くの方に生きて働かれている神様の愛を実際的に感じてほしいです。絶対に感じてほしいです。

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