信仰のキセキ

最後まで

私は摂理の「Mannam&Daehwa」というコミュニティサイトでイラストを描いています。

もともと摂理に来る前はイラストレーターや漫画家を目指していましたが、その夢を、

摂理に来てから叶えることができました。

しかし、この使命を受けるまでに本当に大きな信仰の困難がありました。

「最後まで」

鄭明析先生はこの精神で全ての困難を乗り越えてこられました。

私も、先生から学んだその精神で困難を乗り越えることができました。

その経緯を証したいと思います。

私が摂理で信仰を持つようになったのは2012年。

もともと「神様なんて絶対いない」と信じていたところからの大転換でした。

色々と大変なこともありましたが、祈り、御言葉を聞いていく中で徐々に神様の存在を確信し、

神様を愛するようになっていきました。

摂理で信仰を持ってから1年ちょっとした時。

ある日突然、一瞬にして、私は全てのことが信じられなくなりました。

摂理で学んだ御言葉、いると確信するようになった神様のことまで、何もかも。

原因は分かりませんでした。

御言葉を思い返していたら、ある瞬間、今まで信じていたものが全く信じられなくなったのです。

自分でもあまりにも衝撃でその状況が理解できず、必死になって御言葉を聞き直しましたが、

聞いても聞いても御言葉を信じることができませんでした。

「御言葉が正しい」ということは頭では分かりました。

しかし、それを受け入れることができなくなったのです。

それまで「これが人生の答えだ!」と確信し、不必要なものは全て切って
投資してきたのに、
その確信を失ったから、私はまるで「根のない木」のようでした。

「本当にこの御言葉が正しいのだろうか?」

自分の中で次々に沸き上がる疑い、不安。

御言葉に確信を持てず、その考えを打ち消すことができませんでした。

しかし頭では御言葉が正しいと分かるから、何とか信じようともがきました。

心の奥底にはいつも不安がありました。

針のむしろに座っているかのようでした。

自分の状況を何とかしたくて御言葉にすがっても、御言葉を受け入れることができないから、

苦しすぎて目眩がしました。

ひどい時は、御言葉を受け入れられない苦しさを通り越して、

自分が今生きていることが「非現実」ではないかという錯覚まで起こすほどでした。

御言葉を伝えて下さる鄭明析先生のことを疑う考えまで浮かび、

そんな自分が本当に許せませんでした。

あまりに苦しくて、何度も「摂理を離れようか」という考えがよぎりました。

そのとき、私を摂理に導いてくれた友人のことが浮かびました。

「私が摂理を出たら、悲しむだろうな…」

そう思って、考えに歯止めをかけました。

そして、過去に経験したひとつひとつの経緯を思い返しました。

今、いくら神様や御言葉を信じられなくても、過去の経緯、
そして神様を感じた思い出は

全て「本物」だったから。

そして、自分が摂理の御言葉で得た「人生の答え」は、絶対に本物だと思っていたし、

そう信じたかったから。

諦めることができませんでした。

「最後まで」

鄭明析先生が下さったその御言葉を何度も思い返していました。

その間、信仰に自信を持てない劣等感から、酷い自己嫌悪に陥りました。

自分の信仰に自信がないこと。

自分が「救われた」と確信できないこと。

自分が「摂理の御言葉で変化した」と自信を持って言えないこと。

本当に、本当に、悔しかったです。

「何で受け入れられないんだ。何で悟れないんだ」

そう言いながら、悔しくて自分を殴りながら御言葉に向き合っていました。

「私を生かして下さい」

ひたすら祈りました。

先が見えない真っ暗な暗闇の中で、ただただ神様を呼び続けました。

そんなある日、私は過去に鄭明析先生が説教で伝えて下さった

「神様の歴史」についての御言葉を聞いていました。

重要だと思ってそれまで何度も聞き直していた御言葉でした。

ところがその日、ずっと頭でだけ分かって受け入れられなかったことが、

まるで雷が落ちるかのような衝撃で、完全に自分の中に受け入れられました。

「あ—————っ!!!」

あまりにも衝撃が大きくて、思わず声を上げて叫んでいました。

2014年12月。

御言葉を信じられなくなってから14ヶ月が経っていました。

その後も、自分がこのように信仰に問題を抱えたことが恥ずかしく、

劣等感を感じて辛く思った期間がありました。

しかし、困難を乗り越えたことで、私の信仰はむしろ強くなりました。

もがきの中で、鄭明析先生が伝えて下さる御言葉の価値、神様の価値を強烈に悟ったからです。

今では自信を持って言えます。

「鄭明析先生の御言葉で、私は救われた」と。

過去の苦痛、悔しさ、劣等感、全て乗り越えて、今では笑って語ることができます。

「最後までやってこそ、<畑に隠された宝>を見つける」

鄭明析先生は御言葉でこのように伝えて下さいました。

この<畑に隠された宝>は、私にとっては「信仰」であり、「神様」であり、

「御言葉」であり、「鄭明析先生」です。

神様と、鄭明析先生と、御言葉にすがって困難を乗り越えたことは、私にとって本当に一番貴く何にも換えられない経緯になりました。

この経験を通して悟ったことは、困難があると、先が見えず、不安で、倒れそうにもなりますが、

最後までいけば必ず勝利することができるということです。

本当に、鄭明析先生が伝えて下さる御言葉通りになるということです。

だから、もし信仰生活をしながら困難があっても、絶対に諦めないで欲しいです。

神様が共にしていないように思えても、神様はそばで全てを見て下さっています。

そして、最後には必ず報いて下さいます。

この証が、少しでも誰かの力になることを願っています。

終わりに、私に困難を乗り越える力を下さり、全てに共にして下さった

神様と鄭明析先生に真実に感謝を捧げます。

また、私が困難な時に支えてくれた摂理の兄弟姉妹に心から感謝します。

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